帰    ─かえる─











「待、待ってくれ……!!」
 情けなくも弱く動揺した声を出す男を前に、土方はチラリと冷たくその男を一瞥した。
「命を乞うくらいならば、もとより手を出すな。」
 土方は、今日は一人で市中見回りをしていた。やや人気のない街外れにかかった時だ。数人の男が土方を取り囲んだ。深く笠を被っていて顔は見えなかったが、そのこ慣れた出立や俊敏な動きから見ると、攘夷の刺客に違いなかった。
「新撰組の土方だな、」
 それには応えず、土方は刀を抜いた。こういうのは、いつものことだ。動揺などしない。
 土方は、躊躇うことなくその男達を切り捨てた。たいしたことはない羽虫程度だと刀を鞘に納めようとすると、横で腰を抜かしている男がいた。土方は、鋭い眼光でその男を見据えた。
「…ヒィ……!!」
 男が妙な声を上げて、尻餅をついたまま二三歩後ずさった。
 土方は刀を携えたままゆっくりと近寄った。
「待、待ってくれ……!!」
 こちらは必死で新撰組を護ろうとしている。半端な気持ちで、それを歪ませようとするのが許せなかった。
「俺には女房がいるんだ。……子供だって生まれたばかりだ。」
「……それがどうした、」
 土方は冷たく云い放ち、刀を男の咽喉元にあてがった。
 すると、男の睛の中の恐怖に、鋭い憎しみのようなものが小さく燃えていた。震えながらも、男は口を開いた。
「……お前らはいつだってそうだ。自分達ばかりが正しいと思っているのだろう。邪魔者はすぐ排除する。気に入らないものは皆殺し。権力のあるものばかりが台頭する世の中など、間違っているとは考えないのか。」
「正しい、正しくない、そんなのは問題なんかじゃない。正しいものが勝つのではなく、勝ったものが正しくなる。そういう世ならば、俺はそれに順応して生きていく。」
「そうだ。お前など正しくはない。……お前は正しいものを求めているのではなく、ただの血に餓えた化け物なんだろう、」
 土方は刀を男の胸に突き刺し、素早くそれを引き抜いた。勢いよく出た血が、土方の顔にはね、手には血糊がべっとりとついた。踵を返して戻ろうとすると、後ろから、小さく呻き声が聞こえた。
「……お前には知っているか。女房がいて子供がいて……、ただいまとその家族の中に帰る温もりが。……お前は解るか。女房と子供は、これからずっと戻らぬ俺の帰りを待つのだ。お前が……その温もりを奪った。」
 土方は立ち止まった。男は最期にニヤリと不気味な笑みを浮かべて何か小さく呟くと、それ以上、もう口を開くことも動くこともなかった。
 土方は一瞥をくれると、一瞬唇をかんで、早々にそこを立ち去った。
 確かにこう聞こえたような気がした。

「お前には帰る場所などないのだろう、」








 ──俺に帰る場所がないだって……?

 土方は井戸で汚れた手や顔を水で洗い流し、真紅に染まった首巻は河に投げ捨てた。



 ──俺の帰るところは、新撰組だ。
 ──近藤さんのいる、新撰組だ。そこ以外にどこがある。



ただの血に餓えた化け物なんだろう


 ──もしも近藤さんならどうしたらろう。
 ──近藤さんが先刻の俺を見たら。

 ──近藤さんは絶対あの男を逃がしただろう。
 ──近藤さんが先刻の俺を見たら。……悲しむのだろう。



 お前が……その温もりを奪った。

 ──俺にとって温もりは新撰組。……もし、それを奪われたら──?




 ──否。正しさなど、求めるものか。





 お前には帰る場所などないのだろう

 ──俺の帰る場所は新撰組だ。
 ──俺の帰るところは……









 ──近藤さん、俺は新撰組に帰ってもいいですか?

 ──汚れすぎた俺は、清いアンタの新撰組に帰っても許される存在ですか──?

























「おぅ、トシ。何処行っていたんだ。メシの時間だ。早く来いよ。」
 屯所に戻ると、ニコニコとした近藤が土方に声をかけて食事の間へと行った。
 自分の帰る場所はここなのだと何度云い聞かせても、先の男の言葉が頭から離れない。ぞ分がここに、近藤の隣にいていい存在なのか、解りあぐねている。
 食事はいらないと近藤に告げにいこうとすると、沖田が後ろから土方の肩を掴んだ。
「お帰りなせェ、土方さん。」
 睛を見詰められ、覚えず、土方は少しだけ視線をずらした。
「何やってたんすかィ。今日はジンギスカンですぜ。皆土方さんを待っていたんですぜィ、」
 沖田の言葉に、全身から身体の力が抜けていくような気がした。
 そんな土方を露知らず、沖田は土方の腕を掴むと、ズルズルと引き摺るように廊下を進んでいく。
「……総悟、」
「何ですかィ。惚れました?」
「ふざけんなよ、」
 僅かに、自分の口元に笑顔が浮かんでいることに気付く。

 土方は、ただいまと口の中で小さく呟いた。
















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