誓い                                   


 強くあろうとあった俺はたったの三分で自分の弱さを知った。
 目の前の赤に瞠目して 動くことすら出来なかった






















 俄かに屯所内は騒がしくなっていた。
 その騒がしさはうっすらと膜がかかったように耳を通り過ぎ、その感覚に、これから出来事が起こるのかと改めて思わせる。山崎の手は震えた。武者震いだと思ったのは、本人だけだ。
「平気か、」
 山崎に声をかけてきたのは、土方だ。無理もない。隅にうずくまって座っているのでは、怖がっていると思われても仕方のないことだ。
 曖昧な作り笑顔を浮かべて、山崎は肯いた。
「無理に出なくてもいいんだぞ。」
 案外優しいところもあるものだと山崎は思う。
「……いえ、大丈夫です。」
 みっともない奴だと、情けない人物だと思われるのが嫌だった。
 お上の一行が京へ行くことになった。それに乗じて攘夷派浪士たちがその一行を狙うという話が屯所に入ってきたのは昨日のこと。当然、真選組が事前にその輩を見つけ出して成敗せよとのことだった。
 その浪士たちは、攘夷派浪士の中でももっとも多勢で最も過激な輩だった。この輩を捕らえれば、攘夷派浪士たちにも大層な衝撃を与えられるし、手柄となることだろう。 戦火が激しくなることに間違いはない。死者も、一人や二人ではすまないだろう。
 山崎が真選組に入隊して、初めての戦争だった。それ故の土方の言葉だ。そもそも、山崎は監察として入ったのだから、ある程度の剣術は必要といえども、戦争にまで参加する理由がない。
「少しでも真選組のお役に立てるのなら、」
 そう云った山崎に、土方は肯いてただ一言云った。
 死ぬなよ。
 やけに生々しい言葉だと背が震えた。




 何人もの敵を前にして、山崎はすでに恐怖を感じていた。柄を持つ手に力が入らずに刀を落とした。拾う瞬間に隣に見えた沖田の表情は、いつもと異なっていて、怖いほどに鬼神のように笑っていた。背筋にゾクリとしたものが走った。沖田だけではない。誰もが普段知っている人物とは違うようだ。
 ここは戦場なのだと痛感する。
 敵の頭の男だろう。その男が刀を高く上げると、鬨の声が上がった。耳をつんざくような大声が上がり、大地が揺れた。
 ──何、やっているんだ。
 足が動かなかった。
 目の前に赤が散ったかと思うと、生首が飛んだ。
 ──ウ、ソ
 仲間だった。親しいというわけではないが、何度かは話したことがあった。つい昨日も喋ったばかりだ。
 そんな男が今はすでに骸となっている。
 ──怖い。
 自分がそうなることが恐怖か、それとも人の息の根を止めることが恐怖か、どちらなのかは解らない。ただ、全身から力が抜け、身を凍らすほどの悪寒が山崎を立ち止まらせた。
 ──怖い。怖い、怖い。
 眼前に鈍く光る刀と気持ち悪く笑う男が見える。それはスローモーションのようにゆっくりとこちらにやってくるように見えた。
 ──殺される、
 柄を握れ、刀を振るえと頭が指令を出すが、何処かの神経が繋がっていないのだろうか。身体は鉛のように重く動かない。ただぼんやりと、銀に光る刃を、どこか人事のように見詰めていた。
 恐怖に震える睛を閉じた。そうすれば何も解らない。痛みも感じないのではないかと思った。
 聞き苦しい叫びが小さく頭上で聞こえた。恐る恐るゆっくりと睛を開くと、目の前には土方がいた。その足元に転がるのは、さっき自分に刀を振り下ろさんとしていた男である。
「副、長……、」
 その手には真紅に染まった刀が握られていて、殺気立った瞳は鈍く光っているように見えた。その瞳が、山崎を睨んだ。蛇に睨まれた蛙のよう、といった表現がこういうものなのだろう。山崎は恐れをなして二三歩後ずさりした。
 急に頬にはち切れそうな痛みが走った。身体を支えさせることに精一杯で、暫く何が起こったのかは解らなかった。危うく転びそうになった身体を正し、土方を見た。土方が山崎を殴ったのだ。
「ッふざけんなよ、テメェ!! 足手まといになるならくるな。戦場をなんだと思っているんだ!!
 そう云って、土方は山崎の髪を掴んで物陰へ引き摺っていった。そこに山崎を投げ捨てて、吐き捨てるように云う。
「怖ェんなら、ひっこんでろ!! 邪魔だけはするな。」
 厳しい、冷たい声だった。
 人の死、自分の死を目の前にして、初めて本当の恐怖を知った。
 何か手柄を立てたいと意気込んで出てきた自分を、心から浅墓だと思って羞じた。
 恐怖で体が動かず、まるで凍ったようだった。
 じっと、山崎は身体を丸めて物陰に隠れていた。
 その間も、人々の奮声や叫び声が止まることはない。
 ギュッと睛を閉じて、山崎は膝元に顔をうずめた。






「たった13人でさァ。」
 刀の血を拭き取りながら、沖田がさも残念そうに呟いた。十三人しか斬っていないという意味である。
「弱い犬ほどよく咆えるって本当なんですね。過激派のくせして、さっぱり手応えのあるヤツァいませんでしたねェ。」
「総悟。こっちの死者は、」
「えっと、四人。」
「また近藤さんが嘆くな。」
「土方さんはよくやったですぜ。」
 そう云って沖田は柄に刀を納めた。
 周りの隊士たちが処理を行う様を、土方と沖田の二人は見詰めていた。いつもの風景だった。冷たい風にあおられ、前髪が浮いた。その風を睛で追うようにして土方が視線を泳がした。
「総悟、」
「なんですかィ?」
「俺は酷い男か、」
「どうしたんですかィ、土方さん。浪士に脳みそでももっていかれたんすか?」
 土方は押し黙ってしまった。冗談にのって来ないのをいぶかしんだ総悟だったが、やがて口を開いた。
「酷くても酷くなくても、土方さんは土方さんでさァ。」
「……総悟。隊士をつれて先に屯所に戻ってろ。俺は後から行く。」
 云い捨てると、土方は踵を返した。






 戦乱は終ったようだった。様子を見ると、どうやら真選組幕府側の圧勝だったらしい。
 ──もう、戻らなきゃ。
 立ち上がろうとしたが、まだ脚に力が入らなくてヘタリと座り込んでしまった。
 ──戻る? 何処に?
 真選組に尽くすと決めて入隊した。それだというのに、人一人斬ることもせず刀さえ握らずに、逃げ出した。死に恐怖を感じてしまった。役に立てず、足手まといになるくらいなら、自分がいる意味はないのである。戻ったって、情けでおいてもらうのではあまりにも情けないものだ。
 ──俺、どうすれば……。
 ザリ、っと足音がした。
 身体が竦んだ。浪士がまだ残っていたのだろうか。
「生きてたか、」
 見上げた男は、土方だった。そのぶっきらぼうな口調や表情は、普段の土方だった。
「……副長、」
 云い訳などするつもりはなかった。最期はせめて武士らしくと思い、自分を斬ってくれと口を動かそうとした刹那、土方が山崎の手首を掴んで起き上がらせた。
「立てるか、」
「──はい、」
「帰るぞ。」
 その言葉に躊躇い、山崎は土方の手を振り払った。
「……俺、まだ真選組に居ていいのですか、」
「お前は一度真選組に身をおき、そこにいたいと望んだ。そしてそれを近藤さんも俺も許した。そうある以上、お前の帰る場所はいつでも真選組だ。」
「でも、俺……、」
「俺達は真選組を護っただけだ。戦をするのは人を殺すためじゃない。俺達の真選組を護るんだ。……それが解ればそれでいい。」
 そう云い残して、土方は踵を返して歩き始めた。山崎がついてこないのに、振り返る。山崎は唇を噛んでその後を追った。
 情けないと思った。強くなりたいと思った。自分はまだまだ甘い。
 そう自身を責める気持ちは、小さな嗚咽と涙となって山崎の頬を伝った。拭おうとはしなかった。雫の後の頬の冷たさは、自分が惨めだと身に沁みこませることができる。
 土方に見られるのは嫌だったが、土方は振り向くことはなかった。これはきっと優しさだと尚更山崎は涙を流した。
 暫くして、ようやく涙も乾き始め、山崎は鼻を啜った。
 すると、土方が後ろを見ることなく云った。
「これだけは云っておくぞ、山崎。……真選組の邪魔になるヤツは誰だって俺は斬る。お前だって一緒だ。……お前も、此処にいる以上そうあらなくてはいけない。もしも真選組の枷になるようなヤツがいたら躊躇わず斬れ。……それがたとえ俺でもだ。」
 振り返った土方の睛に迷いはない。
 その表情を見た山崎は、今までの一切の途惑いや迷い、すべての小さな気持ちが吹き飛んだ気がした。
 自分が弱いと知ることは、次の道への道標だ。
「約束できるか、」
 土方の言葉に、山崎は小さく頷いた。
「……副長も約束してください。……今度の戦で、俺が刀を握れなかったら、その時は俺のことを斬り捨ててください。」
「じゃあ、もしも俺が真選組の枷となる時は、お前が俺を斬ってくれるか。」
「……斬ります。」
 決したような山崎の言葉に、土方は口の端を上げた。
「誓うか、」
 土方が、グッと親指を突き出した。
「誓います。」
 土方が頷いて、親指を咬んだ。山崎も習うように親指を咬んだ。二人はそのまま血の流れた親指を、互いの親指に触れさせた。誓いの印だ。
 もう一度土方が口角を上げ、そのまま何も云わずに踵を返した。山崎は暫くその背を見詰めていたが、やがては歩みを進めた。




 ──誓います。
 だから俺が枷になるまで、貴方のお傍にいさせてください。






















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