まず、このお話は新選組で起きた史実を、銀魂の真選組で置き換えてフィクションにしちゃったお話です。
そのできごとは 芹沢鴨暗殺 です
様々な資料が残っているにもかかわらず、好みで鴨のキャラクターを作り、でいいように作り変えられています。そんで土方さんを絡めています。

それでもまぁいいよというかたはコチラから。


芹沢って誰?? 何で暗殺されたの?? 史実を知りたい、 暇人
という方々は、下までスクロゥルしてから小説を読んでくれると嬉しいです。
というか本当は呼んで欲しい。史実と小説の違いを知って欲しいんです。
だって、舵の小説よんで、間違った知識入れられたら困りますしね。





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芹沢鴨って誰でしょう
生まれは水戸藩芹沢村、年は文政九年(一八二六)、天保元年(一八三〇)、天保三年(一八三二と様々な説があります。
江戸で神道無念流(剣術の一派)を学び、天狗党(水戸藩の尊王攘夷派)に加わります。
その時、意見の相違などから同士三人を斬り殺し、投獄されます。死刑を申し渡されたが、大赦(浪士を勇士で募るための献策の一つ・「尽忠報国」の意思が厚い者は今までの罪を免ずるというもの)により、死罪を免れました。
そして浪士組(新選組の前衛)に入るときには、水戸派新見錦、平山五郎、野口健司、平間重助の四人を引き連れています。
その後、様々な狼藉を働いて、やがては土方ら四人に暗殺されました。


芹沢鴨の暴挙とは
 ・神社の太鼓がうるさいからといって、鉄扇で太鼓の皮を打ち破る
 ・意思の相違から同士三人を殺傷
 ・上洛中、宿の室を取り忘れたことに立腹 宿場で大篝火を焚き 注意しに来た役人を叩く
 ・島原の角屋にて・店の接客が気に入らないといって家具什器を破壊 さらに七日間の
  営業停止を云い渡す
 ・新町の吉田屋にて・思い通りにならなった芸妓の髪を切る
 ・四条の菱屋でのツケを支払わないばかりか 集金に来た菱屋の妾・お梅を手篭めにする
 ・一条通りの大和屋が金の無心を断ったので腹いせに屋敷を焼き払い 
  更に消火活動を妨害
などなどです。……すごいですね。


何故暗殺されたのか
上に上げた様々な暴挙より、人々の顰蹙を買い、新選組の評判を下げます。
隊を預かっている京都守護職・会津藩が庶民の恨みの矛先になり、困り果てた会津藩主松平容保が芹沢一派の粛清を近藤らに命令しました
近藤側のほうでも、邪魔になる一派を一掃出来るいい機会だと思ったに違いありません。


芹沢鴨暗殺
その事件の日は、文久八年の九月十八日と九月十六日の諸説があります。
四人の刺客については、土方、沖田、原田左之助、山南敬介(後に脱走を図って切腹)、
永倉新八の書によると、土方、沖田、藤堂平助、御倉伊勢武(のちに間者として切腹)
という説があります。
汚いことに、近藤らは暗殺するために、宴会を開いて芹沢一派を泥酔させて早めに床に向かわせたそうです。
芹沢はお梅と、平山や平間もそれぞれ女と共に同衾しているところを、暗殺されます。
なくなったのは芹沢とお梅と平山で、平間は逃げました。
新見錦は大分前に近藤らによって切腹させられています。


という感じで、無事に近藤政権(?)を確立することが出来たわけです。




ちなみにコチラとしては、死んだ日は十六日を採用、四人の刺客については前者を希望としています。
といっても、小説には殆ど関係ないのですがね。
死んだ日というのは、書物や証言から色々食い違っておりまして、天気が晴れだの雨だので諸説様々です。墓標には十八日、と書いてあるらしいのですが、それは葬式を行った日だとかどうだとか……
暗殺日は土砂降りで、葬式の日は晴天らしく、
日誌には十六日が雨、十八日は晴れと書いているらしいので……。ということです。
上手に説明できていないので、まぁ、そこらへんは、それ関係の書を見ていただければ……

芹沢暗殺について、舵さんの説明なんか違うよとかいうマニア様や、
この本にはこう書いてあって、ちょっと話が食い違うぜよ、という方がいましたら、
またまた連絡くださいね。文句受け付けます!!


   参考文献:松浦玲『新選組』 岩波新書『幕末剣心伝』 学研
      菊池明『新選組』  山村達也『土方歳三』  河合敦『沖田総司と新選組』 
   






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それでは何度も云いますが、散々な風に作り変えられた芹沢鴨暗殺事件ですが、
それでもよいという方はどぅぞ。








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